俺たちのオリックス①(阪急~オリックスブレーブス)

オリックス・バファローズ

蒼バンバンです。おはようございます。

今日は「俺たちのオリックス」について語りたいと思います。

自己紹介でオリックスファンと記載しましたが、
オリックス(阪急時代含む)ファン歴39年目になりました。

プロ野球に興味を持ったのが1985年。
そうです。在阪のあの球団がアレした年です。
蒼バンバンが小学校1年生の時でしたね。

バース・掛布・岡田の3者連続バックスクリーンHRは
サンテレビの生放送をおじいちゃん・おばあちゃんと一緒に見ていた記憶があります。

引用元:Sports navi

この日は4/17、水曜日だったようです。もちろん昭和の時代、昭和60年です。
テレビはリモコンなどなく、チャンネルはガチャガチャ廻るヤツ、
上にアンテナも乗っかってたような気もするけど、こんなヤツです(笑

この歳は見事に阪神が優勝し、関西が野球でとても盛り上がっていた年だったと思います。

プロ野球に興味を持ちだした蒼バンバン。
親父は何故だかロッテファン(笑
歩いて行ける大阪球場(南海の本拠地)によく連れられて観戦しにいくようになります。

南海ーロッテ。
今やソフトバンクもロッテもそれぞれ凄いファンの数ですが、
当時球場は本当にガラガラでした。
翌日の新聞には観客8000人とか書いてありましたが、絶対にそんなにおらんかったと思う。。。

阪神戦の方が観戦したいなぁと思いながら、身近にあった大阪球場によく足を運ぶことになり、
自己紹介でも記事にした運命の 南海ー阪急 を見ることに。
※詳細はこちらで
蒼バンバンの自己紹介(2024.07.18) | 30年後の私と君とぼくへ (aobanban.com) 

その後、どっぷり阪急(今のオリックス)にハマっていくことになるのですが、
ファミスタがその背中をより後押ししてくれたことは言うまでもありません。

引用元:バンダイナムコエンターテインメント

初代ファミスタ(1986年)では、
レールウェイズという関西私鉄の連合チーム、
阪急ブレーブス・南海ホークス・近鉄バファローズの3球団の選手を集めた最強チームが。

松永、ブーマー、山本、村上、門田、山田、・・・と
パ・リーグのオールスターチームと比較しても遜色ないメンバーが揃っておりました。
蒼バンバンには2歳下の弟がいましたが、弟は西武ライオンズ推し。
生涯対戦成績は分からなくなるくらい対戦しましたね(笑

ゲームはさておき、現実世界はと言うと、、、

西武強っ!!
そうなんです。小学校~中学校時代は西武の黄金時代だったなぁ。。。
ファンになって、初めて優勝の味を知ったのが1995年。
阪神・淡路大震災があって、「がんばろうKOBE!」を合言葉に、
前年に200本安打で鮮烈なデビューを達成したイチローさんが
翌年はさらに打撃タイトル獲得(総ナメ)して、大活躍した年でした。

それまではオリックスファンなんて周囲に一人も居なかった、
ほとんどが阪神か巨人ファンでしたが、
「俺もオリックス応援してるよ」と”にわか”が沸いた一年でもありました(笑

この年は日本シリーズでは野村ID野球とやらにやられてしまいますが、
1996年はシーズン2連覇、そして日本シリーズ制覇で念願の日本一に。

当時のベストオーダーがたぶんこちら。異論は認めます(笑
仰木監督が日替わり打線を組んでましたもんね。

素晴らしい打線ですね。
イチローさんはもちろんですが、
野球少年の蒼バンバンも右投げ左打ちでしたが、藤井選手の打撃フォームはめっちゃ真似してました。
ホームランの放物線がとても綺麗で、
ご自身は中距離バッターと仰ってましたが、控えめに言って、最高でした。

当時、蒼バンバンは既に高校生になっており、
中学校時代に肘を故障して、利き腕で頭髪を洗う事すら出来なかったのですが、
不思議とその後も野球のことを嫌いになることはなく、
楽しくプロ野球観戦が出来たのは、この頃のオリックスが感動をくれたからだと思っています。

この後、21世紀の暗黒時代と自分がボールを投げることすら出来なくなった時期が重なっていたら、
正直、オリックスファン、プロ野球ファンであり続けられたかどうかは自信ありません。

第2部で2000年代の暗黒時代を記事にしていきたいと思います。

今日はここまで!

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